トレイルランナー 石川弘樹 Hiroki Ishikawa オフィシャルサイト
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2005年に参加したレースのレポートです。
完走できたレース、已むなくリタイヤしたレース、様々です。
これからトレイルランニングで参戦しようと思っている方には、お役立て頂けるかもしれません。



■レースレポート 2005

■レース名:Hard Rock Endurance Run 100mile

結果:総合7位(140人参加)


内容:2005年7月7〜9日
アメリカ、コロラド州、シルバートンで行われるアメリカで最も過酷とされている100マイルレース標高3000mからスタートし、標高最高4200mの峠を越える

冬の故障の為、5月中旬からのトレーニング開始となり、かなり出遅れた今期初レース。
今回は昨年のリベンジをするべく、乗り込んだ。(昨年は過酷100マイル4レース絶対完走のマウンテンスラム達成が最大の目標だった為、完走を最優先させたので、追い込む走りはできなかった※それでもだいぶきつかったのだが・・)

このレースは他の100マイルレースが速いタイムだと16時間弱でトップ選手がゴールするところ、Hard Rockの場合、歴代最速でも27時間というアメリカで最も難易度の高いレース。
現地到着後、時差ボケと高度を慣らすため、3800m付近を数時間歩き回り、毎朝の軽いジョギング、ストレッチ等で体調を整える。
スタート地点はすでに3000m付近で、あまり心拍数を上げた走りはできないのだが、体の様子を伺いながら行う
レースはトレーニング不足と怪我の不安のある中、前半から少々ペースをあげ、先頭グループに入りながらレースを展開、後半多少つぶれることを覚悟し、挑戦した。

コースは冬の豪雪もあり、かなり雪がトレイル上に残り、選手の行く手を阻む。
トレイルも発見しにくく、夜はなおさらで、私も3回ほどミスコースをしてしまいました。(トップグループも途中5,6名でトレイル探しをすることもあった)
途中やはり、高所と長時間の疲労のため、胃と呼吸器系がおかしくなり、今後どうなるかと感じる場面もあったが なんとか乗り越え、レース続行。さすがに4200m付近は一歩一歩が重く早歩きもとんでもない状態だったが、そこから見える周囲の景色は絶景で体全体でエナジーを感じ、興奮するひとときだった。

後半十数位まで順位を下げるが、最後に盛り返し3位と30分も差が無い7位でフィニッシュラインへたどり着く。
昨年に比べ7時間タイムを縮め、トップ10入りできたことを非常に嬉しく思う。

レース終了後、トレイルの清掃、マーキングの回収を行い、再度4000mまで登ってきた・・・・。

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■レース名:Ultra Trail Tour De Mont Blanc 155K

結果:総合13位(年齢別10位)
参加者2000人
完走者780人
以下約1200人途中リタイヤ


内容:2005年8月26〜28日。
フランス・シャモニをスタートしヨーロッパ最高峰モンブラン山系を一周するトレイル(Tour de Mont Branc)155キロ走るヨーロッパ最大のトレイルランニングの大会。
シャモニの街をスタートしイタリア・スイスと三カ国にまたがる155キロのトレイルをタイムリミット45時間で走破するというもの。
参加者はヨーロッパ中から集まり、アジアからはネパールと日本、ネパールの選手は山岳民族のシェルパで昨年の準優勝者。
日本本土からは初出場(昨年、シャモニ在住日本人参加、途中リタイヤ)となり、僕自身もヨーロッパのトレイルランニングレースは初参加の為、全てが手探り。

スタート地点のシャモニは天候が安定せず。
現地到着後数日、毎日雨が降り続け、気温も日本の10月を思わせるような肌寒さ。
レース4日前に現地入りし、様々なトレイルを走り数多く走ったアメリカのトレイルとはまた違った自然とトレイルの美しさがあった。
また現地アウトドアショツプ等でヨーロッパのトレイルランニング事情などを調べていたりしてた。

ヨーロッパもトレイルランニングは「熱い」!!

シャモニでのトレイルランニングは3800m付近まで上がるとグランドジョラスやモンブランの姿を目の前にして見ることができ、その険しさと雄大さに感動していた。
トレイルは巨大な氷河のすぐ脇や2000m付近の静かな湖には鏡のように空と山々が写り、レース前なのにこのままもっともっと走り続けていたいと感じさせるものであった。

レースは夕方の19:00スタート
シャモニの街の、大観衆が見守るなか選手達はラッシュアワーの地下鉄状態でスタート。
先頭グループはこれから155キロもこのペースで持つのか?と思わせるスピードで飛び出し、僕も今回はどこまでヨーロッパの選手達と戦えるのか挑戦すべく、選手間をかき分け、何とか混雑を抜け出し、先頭を射程距離に置き、アメリカ100マイルのレースでは考えられないペースで走りだした。
2時間もすると暗くなりナイトランへ入る。
1000数百mを一気に登るトレイルの途中で、後ろを振り返ると眼下にはヘッドライトの列が蛇のように一列にトレイルに沿って並んでいるのが見え、まるでお盆の富士山のようだった。
幸運にも26日の夜は快晴で月明かりに周囲の山々とトレイルが照らされ、夜だというのに景色を見ることができた。

前回のコロラドのレースは高低差があり、高度も非常に高い場所で行われたので高所ではほとんど走ることができなかったが、このレースでは激登り以外はほとんど走ることができその分、心肺機能を追い込まれるレース展開になった。
峠を幾つも越え、フランス〜イタリア〜スイスを通り、前半を10位前後で抜け出し、途中40〜100キロ付近は7,8,9番目の選手達と競い合い、その後、後半5位まで順位を上げる。
しかし残り30キロ手前で左足の靭帯が痛み出し、思うように足が運べなくなり戦線を離脱する。
その頃から雨も降り出し、そして残り5キロは1時間30分をかけ、ほぼ歩くような状態でしか進めない。

再度戻ってきたシャモニの町では観光客も出迎えてくれ、フィニッシュラインの大きなバナーへは歩いてたどり着いた。
後続の選手達は僕がゴールする頃に降りだした雨が一晩続いた為、その中を濡れながら寒さと疲労と戦いながらさらに20時間ある制限時間のなかで進み続けていた。

非常に悔やまれるが最終順位は13位。
体力の限界や精神力の弱さに屈したのではなく、怪我というトラブルでこのような結果になってしまったことは非常に残念に思う。
怪我、トラブルも実力のうちでだが・・・。
1ヶ月前に参戦したコロラドでのレースの疲労が抜けきっていなかったというのが反省だ。

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